【The Book】 乙一 著、荒木 飛呂彦 絵
2008年4月16日 趣味
ネタばれ全開。
かなり前になりますが、もちろん買って読みましたよ、【The book】。
舞台である『冬の杜王町』という単語だけで
おなかいっぱいになれてしまうほど4部ファンな僕。
読んでみればノベライズ作品としては大満足な完成度でした。
ただ、予備知識のない人が呼んだ場合……、
楽しみきれないだろうな、とも感じました。
オリジナルキャラクターからの視点が多く、
仗助の登場などは話の中盤になってからになっていますが、
このオリジナルキャラクターがジョジョらしく
「血統」というテーマを背負っていて読んでいて違和感なし。
特に作品を通して描かれる蓮見琢馬と彼の母親の話は
乙一作品の黒さとジョジョの奇異な話の展開方法が
うまく融合されていてよかったですね。
『ビルの谷間で1年間生存した女性』『室内で交通事故死』とか
それぞれの作風のエッセンスを抽出した感じだと思いました。
オリジナルキャラクター、蓮見琢馬は凄くよく造形されていたと思います。
彼の能力は『忘れない』こと。
それは母親の『自分のことを忘れないで欲しい』という願いと
琢馬の『憎しみを忘れない』という気持ちの具現。
これが読んでいてすごく切なかった。
琢馬の経験した記憶は全てそのスタンドに記録されて残ってしまう。
その能力が劇的なのは述べたけど、
その設定が、彼の意志の強さや
論理的な性格の描写に説得力を持たせていましたね。
琢馬のスタンドも小説という媒体をよく生かしていました。
この本を手に取った人はこの本の装丁にどんな感想を持ったでしょうか。
僕は最初重厚感があっていいな、ぐらいにしか思わなかったけど
話を進めていくうちに
この装丁すら表現の一部に組み込まれていることに感心しました。
この本はハードカバーで出して良かったね、それは間違いない。
個人的に好きなのが琢馬が『茨の館』の屋上に上がるシーン。
屋上に出るため螺旋階段を昇っていく琢馬の姿が、
ビルの谷間という光の差さない場所で
母親の胎内から生まれ出ようとする姿と重なったし、
螺旋階段がDNA=血統と掛けてあるんだろうな、
とか思えるのも加わって非常に印象深かったです。
一方、不満、というか違和感を感じたのはやっぱりノベライズという
形式を取ったことで生じたものが多かったですね。
例えば原作キャラクターの使い方。
露伴先生の能力が琢馬と似ている、っていうのは
知らぬ人が読んだら伏線に感じちゃうだろし
原作ファンへのサービス的には嬉しいけど由岸子の
『ラブ・デラックス』も思わせぶりっちゃあそうか。
『ノベライズなんだから原作読んでいることが前提じゃ?』とか
『それもミス・リードとして楽しもうよ』とか
ごもっともな意見もあるかと思いますが……。
あ、『エニグマの少年』とか『トニオさん』とかは
素直に嬉しかったですけどね。
原作キャラの使い方については
乙一さんのジョジョ愛が感じられてよかったですね。
始まりが康一君と露伴先生で始まるのがいかにもそれっぽい。
ただ、露伴先生の一人称が『私』だったり
仗助が琢馬と最初に接触したときの言動が
ちょいと強引過ぎてイメージと違ったりしたのが引っかかりましたけど。
しかし何より受け入れられなかったのが
康一君が度々メタフィクション的な発言をすること。
『勝ったッ!第3部完ッ!』はギャグとして受け止められるけど
今作のそれは完全に蛇足だったと思います。
せっかく感情移入して読めていたのに
首根っこ掴まれて引きずり戻された感じが……。
この物語は琢馬の復讐の話だったわけだけど、
彼の復讐の方法は直接的ではなかった。
でもその方法は康一君の言うとおり『罪深い』。
さらに言葉を借りるなら『倫理観と道徳観が、恐怖して、ちぢこまる』。
でもその結果がもたらすものが決して絶望だけじゃない
っていうのに救われた気にりました。
エピローグは何度読み返しても感慨深い。
最後にもう一つ味わい深かったシーンを引用。
かなり前になりますが、もちろん買って読みましたよ、【The book】。
舞台である『冬の杜王町』という単語だけで
おなかいっぱいになれてしまうほど4部ファンな僕。
読んでみればノベライズ作品としては大満足な完成度でした。
ただ、予備知識のない人が呼んだ場合……、
楽しみきれないだろうな、とも感じました。
オリジナルキャラクターからの視点が多く、
仗助の登場などは話の中盤になってからになっていますが、
このオリジナルキャラクターがジョジョらしく
「血統」というテーマを背負っていて読んでいて違和感なし。
特に作品を通して描かれる蓮見琢馬と彼の母親の話は
乙一作品の黒さとジョジョの奇異な話の展開方法が
うまく融合されていてよかったですね。
『ビルの谷間で1年間生存した女性』『室内で交通事故死』とか
それぞれの作風のエッセンスを抽出した感じだと思いました。
オリジナルキャラクター、蓮見琢馬は凄くよく造形されていたと思います。
彼の能力は『忘れない』こと。
それは母親の『自分のことを忘れないで欲しい』という願いと
琢馬の『憎しみを忘れない』という気持ちの具現。
これが読んでいてすごく切なかった。
琢馬の経験した記憶は全てそのスタンドに記録されて残ってしまう。
その能力が劇的なのは述べたけど、
その設定が、彼の意志の強さや
論理的な性格の描写に説得力を持たせていましたね。
だれにも心の中にたちいらせはしなかった。どんなきもちになろうと、泣いたりもしなかった。しかしさびしいと感じたことはない。自分にはこの本があった。ずっと自分のそばにいて、見守られているような気がしていた。弱音をはくことはしない。おもうことさえ許さない。みっともない記述を、この本にのこしてはならない。
琢馬のスタンドも小説という媒体をよく生かしていました。
この本を手に取った人はこの本の装丁にどんな感想を持ったでしょうか。
僕は最初重厚感があっていいな、ぐらいにしか思わなかったけど
話を進めていくうちに
この装丁すら表現の一部に組み込まれていることに感心しました。
この本はハードカバーで出して良かったね、それは間違いない。
個人的に好きなのが琢馬が『茨の館』の屋上に上がるシーン。
屋上に出るため螺旋階段を昇っていく琢馬の姿が、
ビルの谷間という光の差さない場所で
母親の胎内から生まれ出ようとする姿と重なったし、
螺旋階段がDNA=血統と掛けてあるんだろうな、
とか思えるのも加わって非常に印象深かったです。
一方、不満、というか違和感を感じたのはやっぱりノベライズという
形式を取ったことで生じたものが多かったですね。
例えば原作キャラクターの使い方。
露伴先生の能力が琢馬と似ている、っていうのは
知らぬ人が読んだら伏線に感じちゃうだろし
原作ファンへのサービス的には嬉しいけど由岸子の
『ラブ・デラックス』も思わせぶりっちゃあそうか。
『ノベライズなんだから原作読んでいることが前提じゃ?』とか
『それもミス・リードとして楽しもうよ』とか
ごもっともな意見もあるかと思いますが……。
あ、『エニグマの少年』とか『トニオさん』とかは
素直に嬉しかったですけどね。
原作キャラの使い方については
乙一さんのジョジョ愛が感じられてよかったですね。
始まりが康一君と露伴先生で始まるのがいかにもそれっぽい。
ただ、露伴先生の一人称が『私』だったり
仗助が琢馬と最初に接触したときの言動が
ちょいと強引過ぎてイメージと違ったりしたのが引っかかりましたけど。
しかし何より受け入れられなかったのが
康一君が度々メタフィクション的な発言をすること。
『勝ったッ!第3部完ッ!』はギャグとして受け止められるけど
今作のそれは完全に蛇足だったと思います。
せっかく感情移入して読めていたのに
首根っこ掴まれて引きずり戻された感じが……。
この物語は琢馬の復讐の話だったわけだけど、
彼の復讐の方法は直接的ではなかった。
でもその方法は康一君の言うとおり『罪深い』。
さらに言葉を借りるなら『倫理観と道徳観が、恐怖して、ちぢこまる』。
でもその結果がもたらすものが決して絶望だけじゃない
っていうのに救われた気にりました。
エピローグは何度読み返しても感慨深い。
最後にもう一つ味わい深かったシーンを引用。
【The Book】はどこにも見あたらなかった。すでに表紙から裏表紙、さらに背表紙にいたるまで、完全にほどけてちらばったらしい。身をのりだしている仗助の背後に、無数のページが飛んでいた。夜空をおおいかくすほどの枚数だった。見聞きしたものや、うちがわでふくれあがった感情の分まで、ページは存在する。夜空をうめつくすだけの言葉を、自分はこの町で、得られたということだ。